にょにょにょん♪
3月 14, 2018 1
ものぐさインスタグラムマーケティング講座・・・フォトコンテスト編
よくよく考えてみれば・・・2015年から2016年10月現在迄に、
InstagramersJAPANの企業協賛企画に協力してくれた方の延べ人数が数万人に到達していた。
奢るわけでは無いのだけど、多分そんだけの方々と一緒にインスタグラムを通じて様々なプロジェクトを楽しんできた人間というのも国内で言えば流石に現時点では自分以外に知らないし、ほんとうに得難い経験を頂けたものだと関係各位とお天道様に改めて感謝している。そういう中で、恩返しという訳でもないのだが・・・多少なりとも誰かにこの経験なり知見なりが役に立ててもらえることもあるんじゃなかろうかと思った次第で、気が向いたときにちょっと書き遺して置けることは書き遺して置くことにする。
前提として昨年2月に書いた、
これは現在でも全然有効だと思っていて、基本視座としてこれは変えていない。
原則といってもいいくらいだと思ってて、この考え方から外れて成功した企画を見聞きしたことが無いので多分大方当たってるのだろうと思う。
で、
今回はインスタグラムに於ける企業が主催するフォトコンテストについて書いておこうと思う。
一番の課題はどうすれば成功するのか、だと思う。
よく聞かれるし。
それについて処方箋を用意した。
インスタグラムの媒体特性と成果地点を理解する
成功の定義にも依るけれど、
総いいね数や総コメント数かもしれないし、
定性的に作品の主観的な品質云々かもしれない。
いろいろな指標があると思う。
ただ個人的に思うのは、
定量的な評価指標を求めるなら、
コンテストであれ何であれインスタグラムはそもそも向いてない。
それって結局どのくらいインプレッションが取れたのかという事なんだけど、
インスタグラムって純広ですら1表示1円とか掛かるという超絶コスパの悪い媒体なので、
単に多くの人に見せたいんだと言う事なら、twitterでやったほうが遥かに安上がりである。
もちろんそういう了解の元でインスタグラム界の中で定量的な指標を比較するなら意味はあると思う。
但しそれは成果地点を媒体問わずインプレッションやリーチに求めない前提が必要だという話である。
インスタグラムは多数の緩やかなコミュニティの格子で成り立つ構造なので、
Facebook社ならびにInstagram社が言うようにまさしく「コミュニティ・ファースト」の原則がある。
後に詳細を述べるが、
コミュニティの源泉は写真体験への共感である。
だからフォトコンテストであれインフルエンサーによるプレイスメントであれ、
投稿される作品や被写体がコミュニティ構成員に対してどんな写真体験を齎したのか、
投稿される作品の撮影プロセスに於いて正活者と撮影対象がどのような写真体験をしたか、
が成果地点ではないかと思っている。
写真体験とコト消費について理解する
だいぶ以前から言われている事だけど、コト消費に移行が進んでいる。
持てることが豊かではなく、持てる対象が豊かさの象徴ではなくなってきているという話である。
そこで生活者は豊かな経験を消費するようになったわけだ。
生活者は時間の質をお金で買うようになったと言っていいだろう。
実はその動機がインターネット・SNSの発達に依る承認欲求と無縁ではないことに留意が必要だ。
その軸に於いて、初めて「写真体験」についての吟味が価値を持ってくるからである。
コト消費の証左は写真以外に無い。
このことはインスタグラムに於ける投稿企画の成否に致命的に関わる要件である。
写真体験には2つの次元がある。
ひとつは、その写真を見た側に起きる体験。
もうひとつは、その写真を撮影する側に起きる体験である。
いずれも生活者にとって質の高い時間を提供・・・つまり写真体験をして貰うことこそが、
本来の意味で成功なのである。
質の高い写真体験を起こす
では具体的にどうしたら質の高い写真体験を起こすか、であるが、
めちゃくちゃ単純である。
その写真を撮影する側、つまりインスタグラマーが撮影を楽しめるかどうかに尽きる。
企画内容や撮影対象の製品サーヴィスは当然のことながら、
インスタグラマーを含め生活者の役に立ち暮らしの質を高め愛される事を目的に、
莫大な労力を掛けて世に送り出している筈である。
その莫大な労力や想いを、
撮影者に作品として表現するまでの写真体験として完全に委ねてしまう、
という事がポイントである。
この信頼関係こそが生活者代表たるインスタグラマーの写真体験に於ける全方位的共感の源泉になるからである。
インスタグラマーの上質な写真体験は本人の被写体への共感を齎し、閲覧者に対しても当然上質な体験を起こす。
美しい作品だったから、かもしれないが、友達の写真体験(撮影体験)に対する興味関心と共感が起こるから、という方が更に価値がある。
共感してから共感させる
・・・影響させるには影響される
共感されやすい写真の見栄えに共通性はない。
作家性に対して共感が生まれるのであり、表象としての画像に共感が生まれているわけではない。
撮影者だからこそできた体験について閲覧側が解釈する、というプロセスが生じるからだ。
もちろん共感だけが得点ではない。俺アタシならこう使ったかもしれないし、こう撮影したかもしれない、という批評も大いに得点ではないかと思う。批評も共感の軸があるからこそ起こりうる現象である。
特にインスタグラムに置いては作品が単体で表示されるわけではなく、個々人のギャラリーの構成要素として表示される。だからインスタグラムはユーザーの持つ作家性を理解し易い構造になっており、ユーザー自身もそのことを理解して自分のギャラリーを構成している。
だからどうしたらユーザーが上質な写真体験ができるのかは、
例えばどんなユーザー(具体的に何人かピックアップしてしまうと良いと思う)にどう使ってもらいどう表現してほしいのか、どんなギャラリーの中に違和感なく製品サーヴィスやテーマが作品として「埋没」しているのが理想的か、について検討することで了解できる筈だ。
要するに、
理想とする世界観・作家性を見つけ影響させる前に影響されてしまうことが解決への近道なのである。
そして、
ユーザーが上質な写真体験ができるように、できうる限りの環境整備をしておくことが成功の鍵になるだろう。
環境整備に於いて特に重要なのは「設定テーマ・インセンティブ・報酬」であるがこれはまたの機会に。
表象としての画像へのこだわりを捨てる
インスタグラマーに製品・サーヴィス・テーマの投稿を依頼するのであれば、依頼者は作品の中でも表象としての画像の質について一切のこだわりを捨てる事が重要だ。
※もちろん最低限のレギュレーションはあって良い。
依頼者が期待する表象をトレースするだけならインスタグラマーに依頼するのではなく、自分で腕を磨いて撮るか、トレースに長けた商業カメラマンに委託すべきである。
これは夏休みの宿題で子供が書いた絵に親が手を加えて台無しにするのに似ている。
結果はそれよりも悲惨である。
共感を生まないどころか撮影者の反感が作品に投影されて閲覧者が追体験をするからである(炎上マーケという意味合いでは成功するかも知れないが)。
コミュニティー・ファーストの本当の恐ろしさはここにある。
依頼者の世界観を生活者に強制する可能性は徹底的に排除しなければならない。
以上がフォトコンテスト成功への処方箋である。
成功事例はIGersJPの全ての企画だと思っている。
是非参考頂けたらと思います。