1月 20, 2020
代打バース、 げげごぼうおぇっ。リトルバスターズの感想と考察感想。
リトルバスターズ!(リトバス)はクラナドと双璧を成す名作だと思う。
ノベルゲーならラノベのほうが安いし楽だとしても、ノベルゲーならでわの体験がリトルバスターズ!(リトバス)にはあった。
ノベルゲーの場合ルートごとに(退屈な)共通シナリオを何度も読み返す必要がある。
「何度も読む」という行為は無駄かもしれないが、その分物語の「より深い理解」を強制される上では有用だと思うし、その上でリトルバスターズ!(リトバス)の場合は共通ルートでもループに応じて微細な変化が加えられており、物語理解に不可欠な要件になっている(とはいえ飛ばすだろうけど)。
リトルバスターズ!(リトバス)を名作だとするのは、
リトルバスターズ!(リトバス)がある一点を除いて完成形だったと思うからである。
何の完成形かというと、現実を直視させることである。
クラナドは不条理を奇跡で隠蔽し現実逃避を完成させた物語だが、
リトルバスターズ!(リトバス)は不条理が奇跡の根拠となり現実直視を完成させた物語だ。
リトルバスターズ!(リトバス)の構成はクラナドの構成と全く同じながら、クラナドとは真逆のことをやってのけたと言える。
そんな訳で今日はこれからリトルバスターズ!(リトバス)について5,000文字くらい書こうと思う。
以下完膚無きまでに「リトルバスターズ!」のネタバレを含んでいるため、
少しでも関心を持って頂けたなら是が非でも原作をプレイまたはご覧になってから、
一緒に振り返って頂けたらと切に願う。
尚漏れが鍵っ子に至った経緯はこちら。
日常という現実から逃避する手段としての物語が救済だとしたら、
現実逃避を棄却して幼年期(逃避・セカイ)の終わりを宣言する物語という救済があってもよいわけで、
AIRにしろ智代アフターにしろその試みは失敗に終わってきたわけだが・・・
リトルバスターズ!(リトバス)でとうとうそれに成功した様に見えたのだ。
何故成功したのかと言うと「犠牲に拠る成長への共感」を得られたからである。
リトルバスターズ!(リトバス)の要約、 代打バース、 げげごぼうおぇっ
修学旅行のバス事故に見舞われた幼馴染5人のうち2人がそれぞれ2人を庇い、庇われ軽症で済んだ2人だけが生き残る上で、その精神的な弱さを案じた残りの1人が首謀して草野球チームリトルバスターズメンバーを筆頭とする同事故被害者で今際の生徒らと共有する夢で構築した虚構世界の中で2人の精神的育成強化成を図り、この就後に2人以外全滅し、残された2人が(意識を回復して全員を助け)強く生きていくという物語。
リトルバスターズ!(リトバス)の個別ルートは弱いのか? 代打バース、 げげごぼうおぇっ
無印だと確かに物足りなさを感じる向きもあるかもだがEX以降は十二分ではなかろうかと漏れ個人は思う。クラナドと比較してアフターストーリーに相当するリフレインがループ内に収まる話なのでその点でボリューム感を感じにくいという考え方はあるかも。
リトルバスターズ!(リトバス)の田宮トモエさんは凄い、代打バース、 げげごぼうおぇっ
3役とは思わなかった。。。
理樹、鈴、佐々美とすっごいよなー。
あと、
すずきけいこさんと櫻井浩美さんらもゲロ声よくやったなーと。
仕込んだ笑いよりこっちのほうが笑った。
リトルバスターズ!(リトバス)に考察が少ない理由、 代打バース、 げげごぼうおぇっ
単純に以前の作品群と比較してわかり易かったからではなかろうかと思う。
また、犠牲による成長への共感という図式は比較的一般的な泣き要件なので目新しさが無かったのかも知れない。
夏合宿の事故で自分以外全員死ぬが自分の成長のため結託した今際の他のメンバーが共有可能な夢の中で虚構世界を構築し自分が強化され成就したら夢が覚め全員死亡したというスポコン系の話でも、
自宅の火災で自分以外全員死ぬが自分の成長のため結託した今際の他の家族が共有可能な夢の中で虚構世界を構築し自分が強化され成就したら夢が覚め全員死亡したという家族愛系の話でも、
敵の攻撃で自分以外全員死ぬが自分の成長のため結託した今際の他の戦友が共有可能な夢の中で虚構世界を構築し自分が強化され成就したら夢が覚め全員死亡したという戦争系の話でも、
ITCの攻撃で自分以外全員死ぬが自分の成長のため結託した今際の他のハッカーがマトリックスを構築し自分が強化され成就したらマトリックスが崩壊し目が覚め全員死亡したというウォシャウスキー系の話でも良く、多分ほかにそういった話は既にある気がする。
クラナドが斬新だったのはギャルゲーに置けるkanon問題を克服するにあたり合理的にループを採用し全員ハッピーを実現した点。
平成も終わるしざっくり「Kanon問題」の話でもする - 頭の上にミカンをのせる — https://www.tyoshiki.com/entry/2019/04/29/114550
ただ漏れはkanon問題ってシュレーディンガーの猫でいいんじゃないかと思うんだけど。
2ch考察まとめ - リトルバスターズ! まとめwiki - アットウィキ — https://w.atwiki.jp/littlebustersex/pages/12.html
リトルバスターズ! 考察・解説・レビューまとめ とっぽいとっぽい。 — http://toppoi.blog54.fc2.com/blog-entry-302.html
虚構世界の仕様、 代打バース、 げげごぼうおぇっ
直枝 理樹が充分に成長せず恋愛を成就するとループする。
二人の成長という目的から逸脱すると世界が壊れる諸説あるが基本的にはこれで説明可能ではなかろうか。
ループを経ると恭介、真人、謙吾以外は記憶をリセットされる模様。
あと、恋愛しないと成長しねーのか、という指摘はごもっともながら、
個々人のトラウマにまで踏み込んで異性交友が実現するにあたり恋愛がキーになるという反論ももっともかも。
謙吾が嫌がる理由と怒る理由、 代打バース、 げげごぼうおぇっ
謙吾が嫌がったのは此岸でストイックに行き過ぎたので彼岸の暮らしが楽し過ぎて終わらせたくなくなったのではないか。その上、彼岸に於いては全員を「守る」事が出来るので、終わらせたくなかったのではないか。また謙吾が怒ったのは此岸で救えなかった古式を「活用」する恭介を承服出来なかったからではないか。
来ヶ谷の世界が崩壊する理由、 代打バース、 げげごぼうおぇっ
来ヶ谷は理樹との恋愛関係が楽し過ぎて終わらせたくなかったのではないか。
虚構世界の仕様上、理樹と来ヶ谷が相思相愛になった時点で虚構世界はループするはずなのだが、来ヶ谷は明晰過ぎて「この世界の秘密」に関与できたのだろう。
止まない雨、季節外れの雪というのは虚構世界破綻の象徴である。
繫がらない携帯電話、届かない携帯メールっていうのも何というか味わいがある。
消えないピアノの旋律は彼女が残した最後の抵抗というわけだ。
笹瀬川ルートで聞こえるピアノの旋律、 代打バース、 げげごぼうおぇっ
終盤で理樹が迷い込む虚構世界のうちピアノが聞こえる世界は6月21日の来ヶ谷の世界ではなかろうか。来ヶ谷が理樹の名前を覚えていたのは、恐らく理樹がこの世界の来ヶ谷を迎えに行ったからではなかろうか。
リトルバスターズの意味、 代打バース、 げげごぼうおぇっ
幼年期の終わりということだと思う。
自分の世界に閉じこもる、
とか、
自分以外に依存して演繹的に自己を確立させている、
ということ、
は物語の創造主にとって「こども」なんで、
大人になんなさい=現実を直視しなさい
ということなのだろうと思う。
「LCL」とは?なぜ、”人間に戻れなくなる”のか。サルベージ計画とは【エヴァンゲリオンFANさいと】 — http://www.eva-fun.net/evaeva/lcl.html
ただなんで世界系ってジュブナイルなんだろうね。
リトルバスターズ!(リトバス)への唯一の反論、 代打バース、 げげごぼうおぇっ
国崎往人と神尾観鈴は神奈の為に頑張った挙げ句死亡する。
智也は(基本的には)智代の為に頑張りまくった挙げ句、(明示的ではないものの)障碍を負い最終的に死亡する。
リトルバスターズは直枝 理樹と棗 鈴の為に虚構世界を構築し最終的に全滅する。
kanonではあゆが犠牲になるのだが、相沢祐一自体は別段成長していない。
AIRでは往人と観鈴の犠牲によって救われる対象が不在(神奈または星)なので共感対象がない。
智代アフターでは智也の犠牲によって智代の依存体質が克服されたかに見えるが一種の信仰が拠り所となっているので共感しにくい。
ここまではクラナドの感想で述べたとおりだ。
しかし、
リトルバスターズ!(リトバス)は主に恭介の犠牲(とリトバスメンバーの犠牲的協力)によって理樹と鈴は強くなりかつ生き延びたので犠牲対象と生き延びた対象に共感が可能。
見事!
と思ったのに・・・
どうして全員助けてしまったのだろう。
クラナドは必然的に全員ハッピーにならざるを得ないのだが、リトルバスターズ!(リトバス)は無理に全員ハッピーにしてしまったように思うのだ。
理樹も鈴も強くなったのだから犠牲があろうがなかろうが本筋は変わらないから、という解釈もあってよい。二人が成長したから全員が助かったのだ(全員を助けられたのだ)と明確にわかるのであればそれも次点だったかもしれない。
ただ、
リトルバスターズ!(リトバス)なら犠牲を乗り越えて生きていく二人に共感出来たはずなのだ。
少々どころか多分に勿体ない様に思える。
理樹も鈴も強くなったのだから理樹は鈴の手を引いて事故現場から一刻も早く退避できたのだ、
という終わり方が物語として最も美しかったんではないか。
※未確認だが企画者はそうしたかったらしい。
日常は辛く苦しく誰しもがただでさえ一生懸命頑張って生きている。
にも関わらず日常は更なる苦難試練を浴びせ掛けてくる。それでも我々は強く前を向いて生きていかなければならないとする。そんな事はみんなわかっており、寧ろそれから目を背けているのが我々の現実なんである。
従って我々はかくも生きづらい此岸に於いて、
彼岸から届く恋心を奏でる綺想曲の調べに酔っ払って生きるのみ。
6月21日の来ヶ谷の姿こそが我々の真の姿なのだ。
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