iPhone カメラアプリ オーガニゼイション

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日本最大の Instagram ( インスタグラム ) ユーザーコミュニティ代表の えんぞう が適当にiPhoneカメラアプリのレビューとかInstagramとか写真関連とかの与太話なんかをします。

質問とかあれば随時募集しております。

こんな画像やあんな画像はiPhoneでどうやって撮ったり作ったりすんの?っていう質問とかあれば分かる範囲で答えますのでお気軽にお問い合わせくださいませ。右下のフォームでもtwitterでも使いやすい方でお気軽にどうぞ!

iPhone写真の未来VOL.2

しばらくぶりでございます。

勝手気侭な考察の第二回目です。
先日、出荷時に戻す際に、入っていた写真をどこにも同期していなかった為泣く泣く捨てる事になった。
自分でいうのもなんだが、その中には実にいい写真が入っていた。
それはスラム街、山谷で撮ったある人の最期なのだ。
しかもiPhoneだから撮れたその写真、実に惜しい。

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前回から少し時間が経ってしまったが、その間にもますます「iPhone写真」という言葉自体が陳腐なものになってきているのを感じる。
そんな中、iphone好きならもう耳にしているかもしれないが、ちょっと前に衝撃的なニュースが世界を駆け巡った。
Twitterで、「もしオイラが通信社の社長だったら、各カメラマンにiPhoneを十台ずつもたせたせるよ。その方が効率いいではないか」なんて冗談半分で書いたら、まさかそれが現実のものになってしまったのである。

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新納 翔 連載#11 珈琲ブレイク 気になるアプリ紹介「失敗カメラ」~これは写真家に対する問いかけなのか?~

image-nero

前回、iPhone写真の未来Vol.1を書いて続編は書いているのだけど、ちょっと珈琲ブレイク。
使えるアプリ紹介はえんぞうさんに任せるとして、先日気になったアプリがあったのでそれを紹介したいと思う。
その名も「失敗カメラ」。ははーん、またネタアプリかと思いTwitter上でも失笑されていた。
APPストアの紹介ページには、「世界中のどんなに優れたカメラマンでも、必ず失敗するカメラです」とある。
しかもその作例写真を見るに、おそらく撮った写真の上から余計な画像をかぶせ、失敗してしまうという子供騙しみたいな趣旨のようだ。
作例を見ると、海辺のツーショット写真にちょうど鳥が入っていたり、いかつい男性が入っていて肝心な二人はほぼ見えないという具合。
おそらくアプリ制作者もネタアプリのつもりなのだろうが、これで有料とはなかなか強気だ。全くふざけている。
85円とてもう少し出せば雪見大福が買えるではないか

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なぜそんなネタアプリらしきものをわざわざ紹介するかというと、しばらくして「必ず失敗する」という文言が妙にひっかかったからだ。
シャッター押した瞬間に鳥が丸被りするなどどう見てもナイスタイミングである。狙ってできる代物ではない。果たして失敗なのであろうか。
むしろ、お見事!と言いたくもなるってものだ。そもそも失敗というのは、撮影者の意図にそぐわないというだけで、見る側からすればまた別の話なのだ。
世界中のwebにばらまかれているiPhone写真の中で、赤の他人のツーショット写真とこの見事に鳥が入った写真のどちらが面白いのであろうか
僕は鳥の方に一票を投じたい。

逆に「成功カメラ」なんてものがあったらどうであろう。「世界中のどんなに下手なカメラマンでも、必ず成功するカメラです」と書かれるはずだ。
これなんてもっとインチキくさい。でも適当な言葉を並べれば買う人はいるんだろうな。考えてみると、先の話から言えばデフォルトのカメラこそが「成功カメラ」なのかもしれない。

「失敗カメラ」、一見ネタアプリにも思えるのだが、私には、写真において失敗したとは何なのですか?その写真には価値は本当にないのですか?
本質を見失っていませんか?などと聞かれている気分になる。
そしてようやくこのアプリ開発者がしたいのは、写真家に対する問いかけなのだと気づくのである。
写真行為は時として撮り手の意図とは無関係の場所にあるということを。

ちなみに私は怖くて購入しておりませんので、どなたか購入されたら一報下さいませ。かしこ。

p.s. この作者はキヤノンが嫌いなのであろうか。ここまでどうどうとキヤノンのカメラにバツをいれてアイコンにするとはやはり強者だ。

ゲットは以下で(wえんぞう)

失敗カメラ - CYDER

新納 翔 連載#10 iPhone写真の未来-Vol.1

今InstagramをはじめiPhone写真はすっかりと一般に普及したと言っても過言ではない。
それに伴って、iPhone写真やそれに準ずるものをわざわざ一般普通における写真と区別することに違和感を感じるようになってきた。

世界最大の写真の祭典パリフォトにおいても、iPhoneで撮影された写真は展示してあったが、もうそれがiPhoneで撮ったからという点で価値が上下することもなく、たまたまそのイメージを定着させたデバイスがiPhoneであったという事にほかならないのである。この度のtwitterやfacebookのアップデートを見る様に、iPhone写真というのは個人的な見解とは真逆の方向へ進んでいるようにも見える。

一写真家として、iPhone写真と呼ばれるもののは既にただのPhotographだと思っているが、
この記事は自分の考えの整理の意味も兼ねて書かせて頂こうと思っている。
むろん、iPhoneで撮影された写真が世に出る事に関しては大変好意的に受け止めている上での話である。

これからiPhone写真の未来を推察するに、様々な視点から見ていきたく思い、何回かにわけて書きたくVol.1とさせていただいた。

はじめ数回は、私がiPhoneを所有した2010年から今までを振り返ってみたいと思う。

特に今回は、どのようなアプリが流行ったのかということと、iPhone写真の台頭という点から見て行きたい。
あくまで、私の知りうる話の中だけなので、そこらはご了承いただきたい。

僕がInstagramを導入したのは、様々な写真加工アプリとtwitterとの連携が弱く、単純にtwitterに流すのに丁度いいと思ったのがきっかけでとかく表現手段などとは思ってはいなかった。それが2011年の初めの方だった。
iPhone3GS、画質としてもさほどほめられるものではなかったが、それをとりまくアプリの豊富さには心踊るものがあった。

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iPhone3GSではじめて撮った写真。2010.03.21

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当時よく使っていたアプリ達。ちょうどスクリーンショットが残っていた。

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ブログ「NERORISM」より

ブログの本文の中にも書いてあるが、この当時のアプリというものは、
いかにカメラ側の画質の悪さをごまかすかという所に重点が置かれていたものが多かったように思う。

中にはノイズをうまく表現手段にするようなものもあった。
Spica等はいい例だろう。
まだ携帯カメラは記録のためにあるという領域を出ていなかった。
ゆえにTiltShiftGen等の「一眼ぽい」写真が撮れるということが着目されるのに時間はかからなかったのにも納得がいく。
私は銀塩から写真を始めたが、iPhone写真から一眼レフを買うという流れは、今になってみればごく自然なことなのだろう。

かつてニコン、キヤノンがライカを模倣したように、iPhoneも一般的にカメラと認識されているものへの模倣が始まるのだ。
しかし、前者もそうであったように、模倣はすぐに終わる。
しばらくして、撮影後暗室に入って加工するような事を疑似体験するアプリなど、アナロギーな趣向のアプリがはやった。
フィルムカメラへの憧れが具現したものなのかもしれない。
やはり世間一般でもデジタルカメラの流通にともなって、あえてフィルムで撮影する若者が増えたのも事実だ。
それは時代の逆行でなく、個なき時代へのアンチテーゼのように見えた。

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2010年のカメラロールより。

自分のブログを遡る限り、iPhone写真が表現手段の1つではないかと思うに至るまではそう時間がかからなかったようだ。
ちなみに同年にはエプサイトにおいてiPhone写真の個展が開催されている。
僕はこの展示を見た時、2001年、写真家の石塚元太郎氏が、当時としては珍しい、デジカメとノートパソコンを持って世界中を旅するというスタイルで撮られ発表された写真展、WWW(WorldWideWonderful)シリーズを思い出したのだった。

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ブログ「NERORISM」より

(続く)

【編集あんましてないけど後記】
驚くべきことに、えんぞうはneroさんと殆ど同時期にiPhoneを入手している。
当時はiPhone3GSを「最高のトイカメラ代替ガジェット」だと認識していたえんぞうではあるが、neroさんが指摘するようにこの時点で既に「写真機」としてどうなのかを見ていた先達もいらっしゃった事に驚く。勿論neroさんもその一人。
面白いのは、彼の3GSに依る作品にも充分過ぎる程のnerorismが息づいている点だ。解釈する側の感性都合ではあるのだが、最早iPhoneは写真機としてそこに厳然と存在していたという事の証左ではなかろうか。

続きが気になってしょうがない(笑)

ちなみに下記はえんぞうの3GS画像群だ。
今となっては見るに耐えなくて面白い。

新納 翔 連載#09 iPhoneで撮りiPhoneで撮る

iPhoneの表現範囲はアプリの発達によりどんどん加速しているように思える。
きっと、それだけでなく、iPhone含めデジタル化が取り巻く環境によるものであるのかもしれない。

銀塩が無くなりそうだとか、
Kodakの終焉を心配する声を聞きながらその一方で,
えんぞさん率いるInstagramers-Japanの活発な動きを見ていると、
なんだかそういった懸念の声も時代の流れなのかと思ってしまうくらいだ。

この度私不肖新納は、11月に広島大学にて写真展及び講演会をすることになった。
本来、打ち合せを兼ねて広島大学で出会ったiPhone使いの有川君( @SilenceAngstrom )の事を当記事で扱うつもりだったが、
急遽こちらを思いついてしまったので彼は次回ということにさせていただく。是非お楽しみを!

iPhoneで表現する事に関しては私が口を挟むまでも無いフィールドがすでに出来上がっているが、
iPhoneは撮影するための道具として存在する事もまた無限の可能性を秘めている

特にLED系のアプリはかなり重宝している。
これは私が仕事でもつかっているくらいなので、スタジオにはいるのもいいけど、
アイデア次第ではiPhoneで済んでしまうおそろしささえある。
写真はアイデア、色々チャレンジしてみて自分なりの表現を見つけるといいと思う。

これは某雑誌で彫刻家、Kenji Kawais氏の作品を撮ったものである。
http://www.kenjiart.com/index_j.html
依頼されて実物を見て予想以上に大きく、横幅1mを越える実物を見てはたと困った。

これを自分なりにどう表現するか。試行錯誤のすえ、
長時間露光とiPhoneのLEDライトという作戦でイメージ通りに仕上がった。

1分を越える露光の間、自分の残像が残らない様にひたすら動きつつ、
張り紙で出来た彫刻にLEDライトの光を当て続けた。
まるで光のペインティングのみたいな作業。

以下に上げるのは真っ暗な部屋でiPhoneのライトだけで撮影したものである。
十分な写真が工夫次第で撮れるわけだ。
撮影に用いたカメラはCannonの5Dだが、iPhoneの照明はプロから見ても非常に有効な事が分かる。

iPhoneで撮るのもいいが、iPhoneで撮ってみてもこれまた面白い世界がありそうだ。

model:Hanihara Asami
http://studio-instant.tumblr.com/

新納 翔 連載#08 フォトマップ雑感

記録するということは人間の本能的な行為の一つである。
記録することは、人間が人間であるために絶対に切り離すことのできぬ
人間的な重要な行為のあり方である。
そして写真こそは、その最も近代的機能をもつものであるといえる。
(濱谷浩 カメラアート1940年12月号より)

濱谷浩は、木村伊兵衛、土門拳と並んで20世紀を代表する写真作家です。
彼の言葉は写真同様に鋭く、端的に写真の本質を鋭くついています。

かくいう私も自分では都市風景を撮る作家と捉えておりまして、今回のInstagramのアップデートはまさにそういう変わりゆく都市風景を撮る作家の為ではないかとすら思っています。

もちろんフォトマップの事ですね。

僕はある程度地理感覚はある方だとは思いますが、時々このあたりは「あの風景がある場所のはずだ」と思うことがあります。
ただ、都市の変化は異常なまでにはやく、「あの場所」を見つけるのが容易ならぬ事も稀ではありません。

ようやく行ったり来たりしていた空き地がその「場所があった」場所だ、と気付くのには少し時間が掛かります。
ゆえに今回アップデートで追加されたフォトマップの機能は、
自分の足跡を残す以上に、
また同じ場所を記録するために訪れる際の強力な補助ツールとなるわけです。

同じ場所に行くということは、都市風景を把握する上で最も大切な事なんですね。

しかし、勘違いしてはならない点があります。

「次ここを撮るためにIGで撮っておく」という行為自体が、もはや次がない事を意味している、という点です。

つまり、その時点でその風景を記録することを保留することは、その時にしか撮れないものを放棄することに他なりません。
ゆえに、次来た時はいい風景だから一眼で撮ろうなどという為にフォトマップの事を言っているわけではないのです。
そこにはかつてそれがあった、という事を想起させるきっかけとして撮るのだということなんですね。

知人が2007年あたりに私の写真を見てこんなことを書いていました。

「私は天才的な方向音痴です。最近では予めインターネットで駅から行き先までの道順や所用時間をよくよく確認しておくのですが、それでも残念なことに、よほど簡単な道でない限り迷わずに行ける方が珍しいのです。所用時間は表示される時間の倍は多く見積もって、さらに10分前には着くように計算しているのですが、恥ずかしながらそれでも遅刻してしまうこともあります。

GPS機能付きの携帯電話で地図を見ながら歩くのですから、いくら方向音痴でも目的地の周辺までは辿り着けます。
しかし現在地表示にはそれほどの精度はありませんから、付近をぐるぐると彷徨い歩き見覚えのあるランドマークに三回くらい行き当たったところで観念し、恥を忍んで通行人を呼び止めるなりコンビニに入るなりして道を聞いてどうにか目的地に行き着くのが通例です。

ちなみに、行きと帰りでは同じ道でも見える景色が違いますし、時間帯が変われば尚更で、帰り道もまた迷います。
来た道を引き返すことができないのです。
帰りはタイムリミットもなく、写真など撮っていると私には役立たずの地図を再び確認するのも億劫で、
別ルートで遠回りして違う駅から帰るなんてことも日常茶飯事です。

それにしても道中、私は何度も同じ景色を目にしているはずです。
しかし、ランドマークを何度か目にするまではそのことに気付きませんし、帰路に至っては一度通った道なのかどうかすら定かではありません。
それほどまでに街の景色に無頓着なのです(それ故に方向音痴なのですが)。

ですから、古い建物がどんどん建て替えられ少しずつ街が変わっても、前に何の建物があったかなんて覚えていません。
そして、街の佇まいが見違えるように近代化してしまったときにはじめて、言いようのない喪失感を覚えるのです。
私ほどの方向音痴は稀にしても、そういう人は決して少なくはないでしょう。

その点、彼の街の変化へのアンテナは飛び抜けて高く、視線は大変に鋭い。
僅かな変化にも即座に気付き写真におさめます。
また、自らが以前の街の姿を忘却することも嫌い、
知らぬ間に景色が変わっていれば必ず過去の写真を掘り返し、
元の姿を思い起こしています。

私や大多数の人々にとっては変わりゆく街は日常的な風景の一部でしかありません。
見る人によっては彼の一連の行動は不可解で無意味なものでしょう。
しかし彼にとって街の風景は重要な「情景」なのでしょう。
彼は誰かが残さなければならないから記録しているのだと、写真は単なる記録であるとドライに言い放ち写真を撮り続けます。
しかしその胸の奥には熱い使命感、文字通り街への「情」熱がくすぶっているように思えてなりません。

その想いが写真に反映されているゆえでしょう。
彼の道脈シリーズの写真はモノクロの静かなプリントで、決して派手なものではないにも関わらず、焼き付くような鮮烈な余韻を残すのです。」

記録こそ写真というスタンスは私の核です。
最近#1day100upというタグで、当日撮影したもので1日で百枚アップするという事をしているのも、もしかしたらその延長なのかもしれません。

道脈:http://nerorism.rojo.jp/Gallery/root1.html

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